File No.009 Ryuichi Oko

声優・俳優、ゲーム、音楽、動画、マンガ・イラスト、デザイン、IT、スポーツ、ビジネ ス、フィッシング、ヘアメイクなど。多岐にわたるカレッジの中で、各業界と連携した実 践的なノウハウを学び、即戦力となるスキルを身につけられるのが総合学園ヒューマンア カデミー。学生たちはやがて社会でそれぞれの道を歩んでいくわけだが、具体的にはどん な職場でどんな仕事をしているのか? そんなヒューマン卒業生たちの“現在地”を、本人の インタビューと共に紹介する当企画。

今回はなんと淀川の河川敷を寝床?にしていたというハードな経験を経て一国一城の主と なった尾古竜一さんにクローズアップ。

淀川河川敷の青空寝床から
一念発起し機材関連事業を起業!

大阪市北区にある「CLUB PICCADILLY UMEDA OSAKA(クラブピカデリー 梅田大阪・https://clubpiccadilly.jp/)にて取材撮影。

●プロフィール

尾古 竜一さん RYUICHI OKO

生年月日・年齢 1988/03/10 37歳

総合学園ヒューマンアカデミー大阪校
マスコミ芸術カレッジ音響エンジニア専攻
2009年卒業

GENZAICHI File No.002で紹介している花野さんのフィッシングポイントの1つが まさに淀川河川敷。
もしかしたら尾古さんと遭遇していたのかもしれない…。

メジャーデビューを目指しつつ
裏方のことも勉強したい、とカレッジに入学

高校時代はバンドでボーカルを担当し、メジャーデビューを目指していたという尾古竜一 さん。高校卒業のタイミングで、プロミュージシャンになる夢も継続しつつ、音楽業界の 裏方も勉強できたら、という理由でヒューマンアカデミーに入学。音楽活動にプラスとな るDTMを学べるのも魅力でした。

「音響を学べたらいざプロになった時にも役に立つし、DTMは音楽活動するうえで必須に なると当時から思っていたので、その両方が学べる。なおかつ場所も心斎橋だし色々都合が良かった(笑)。そんな理由でしたけど、実際に通ってみて先生は面白くてフレンド リーな方々ばかりで、なおかつ同じ志を持つ仲間と会うこともできました。学ぶ上では先 生との距離が近かったのが何より良かったですね。

具体的なことで言えば、ミキシング(各パートの音量や音質を調整してバランスを整える レコーディング作業の一環)の授業で、実際のCDと生音源をMIXしながら聴き比べる授業 や、ブレイク・オブ・リミットという定期開催の校内のイベントなどの実習はとても勉強 になりましたね。

ただ今になってみて思うのは基礎的な知識の部分をもっとやっておくべきだったなと。一 度PCのOSをアップデートしたら学校から支給されたプロツールズ(レコーディングで使用する編集ソフト)が使えなくなってしまったことがあって。学生だからまだ良かったです が、プロという立場であれば絶対にやったらいけないミスなので、そういう基礎の部分は 若い頃にやっておいた方が絶対にいいので、後輩達にはそうアドバイスしたい(笑)」

卒業後はTV局に就職し順風満帆のはずが・・

数ヶ月後には河川敷に段ボールを敷いてホームレスに?

事故による大怪我、その後職をなくしホームレスに…。それでも自身の苦い経験を 冷静に振り返り、ユーモアを交えて明るく話す尾古さん。

「2年生の時に東京のTV局の収録に現場研修のような形で参加させてもらったことがあっ たんです。片付けなどを手伝っていたらノリでそのまま機材車に乗っけてもらって、そのままTV局で働かせてもらったことがありました。それがスペースシャワーTVだったんです けど、結局卒業するとなった際に本採用となり上京しました。

それが最初の就職先です。 TV番組はもちろん、有名なアーティストのプロモーションビデオの制作に関わらせても らったりと充実していましたね」と、業界を目指す若者としては順風満帆なスタートを 切った尾古さんであったが、人生とはそんなに単純ではなかった…。

急転直下、なんと就職した数ヶ月後、自転車に乗っていて車に轢かれ、かなりの重症を 負ってしまう。骨折が治るのに数ヶ月は掛かるということで仕事を辞めるしかない状況 に…。 「結局大阪に戻ってきたのですが、お金も職も家もなく、淀川の河川敷や橋の下などに段 ボール敷いて寝ていました。完全にホームレス状態です(苦笑)、まあ相当根性は付きま したけど」

じつは現在の尾古さんは自らで音響関連会社を立ち上げた会社経営者。そんなドン底ともいえる状況からいかにして持ち直したのだろうか。

「もう時間だけはたっぷりあったんでヒューマンの授業に顔出してたりしたんですよ。 やっぱり音楽とか舞台とかが好きだったんでしょうね。そのうち改めて音響がなんたるか を理解できるようになっていたんです、学生当時より。おそらくちゃんと社会人として現 場を経験したからこそだと思うんですが、そこで改めて音響の仕事を探してクラブアンモ ナというところで音響照明として働けることになって。さらに音響専門の会社を転職しな がらスキルをつけていきましたね」

様々な経験を糧に独立!

遂には音響機材関連を手広く扱う会社を設立

突然の不可抗力で家がない状態にまでなりながらも、そこから徐々にではあるが上昇気流 に乗ることができた尾古さん。そもそもカレッジで学んだテクニカルなスキルがあるので 当然といえば当然だが、そこに加え他業種などでのバイトなどで培った経験をうまく活か せる方向に業態もシフトさせていくことに。「クラブで働いてたころ、他業種のバイトなども色々経験したんです。その中で現場系の 仕事なども結構していたなかで特に設備関係を経験できたことで、音響のテクニカルな部 分に加えて機材設置などの設備施工もできる業態はどうかということで独立という流れに なりました。

コロナ禍の時などはイベントなどがなくなって音響の仕事が減ったのです が、それと反比例するようにスピーカーの設置や演出機材の取り付けなど、設備施工の仕事が沢山入ってくるようになったんです。それに配信の仕事なども手がけるようになった ので、コロナきっかけで幅ができたのも面白いですね。全国あちこち回りましたが、まだ まだ行けてない県も多いので、目標は47都道府県制覇です!(笑)」

というわけで、現在は音響やPA、照明や映像などの舞台周りのテクニカル関連をやりつつ も、店舗などに音響や照明、映像設備の施工に加え演出機材の販売なども手掛ける会社の 代表を務めている尾古さん。ずっと続けてきた事が知識として仕事になり、そして今は独 立して自分の会社として仕事できているのが嬉しいそうです。

「機材の納品や設置は納めてハイ終わりではなく、そこからお客さんとの関係性がスター トするものなので、アフターサービスも含めてお付き合いできるのが楽しいですね。それ にこういう業態だと口コミが大事なので、そういう意味でもヒューマンで培った人脈や信 頼関係が役立ってますね。ヒューマンきっかけの繋がりが全国にあるので」

イベント『OURSONGS in名護』にも参加

同窓生や在校生とも交流を楽しむ

Vol.5でもレポートしている『OURSONGS in名護』ではトワイライトステージの照明担当と して参加。大阪に続き2回目の参加となった。

「準備や天候の問題があったのでそのあたりは大変でしたが、同窓生や在校生と一緒にや れたのは本当に楽しかった。ヒューマンはとにかく面白い先生が多かったので、たとえ同 期でなくても共通の話題として先生を話題にできるので、めちゃくちゃ笑いましたね。そ れにみんな当たり前に音楽好きなので、世代が違っていてもすぐ仲良くなれたのもよかっ たです。ヒューマン関連は本当に意外な繋がりなどもあって面白いんですよね」

在校生から見れば、尾古さんは目標となるべき先輩だ。そんな尾古さんの今後の目標や夢 などはあるのでしょうか。「自分の会社が今年法人2年目なんですよ。会社の目標としては年商1億円と、リピート 率を上げたいです。できれば100%! それに幅広く自分がやってきたので、様々なスキル を後輩に身につけて欲しいので育成に力を入れていきたいですね」

先輩から後輩へのアドバイス

「校内で繋がった仲間や先生と仕事をすることが本当に多いのがヒューマンの特徴でもあ ると思うので、せっかくなので自分のコース以外の学生や先生ともコミュニケーションを 取ったりと、幅広く交流して欲しいですね。意外なところで縁が繋がることが本当に多い ので。また先生との距離が近いのも特色なので、その縁も大切にして欲しい。 専門学校の強みって卒業後も一緒に活動ができる仲間が出来るとこだと思いますし、特に ヒューマンは横だけじゃなく縦(先生)のつながりが作りやすいのが特徴なので、積極的 に行った方がいいと思いますね。あ、それと基礎知識は学生のうちに叩き込んでおいた方 がいいですよ!(笑)」

PHOTO:上新庄写真センター / TEXT:藤川経雄 / EDITORIAL:賀川 真弥

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