File No.008 Tsukasa Ikeda

声優・俳優、ゲーム、音楽、動画、マンガ・イラスト、デザイン、IT、スポーツ、ビジネス、フィッシング、ヘアメイクなど。多岐にわたるカレッジの中で、各業界と連携した実践的なノウハウを学び、即戦力となるスキルを身につけられるのが総 合学園ヒューマンアカデミー。学生たちはやがて社会でそれぞれの道を歩んでいくわけだが、具体的にはどんな職場でどんな仕事をしているのか? 卒業から10年以 上を経たヒューマンアカデミー出身者たちの“現在地”を、本人のインタビューと共に紹介する当企画。

今回クローズアップするのは、ミュージックカレッジ音響エンジニア専攻でステー ジ周りのノウハウを学び、それら知識を現在の職種に活かすことで第一線で活躍している舞台監督、池田 司さん。ライブハウスやフェスなどで一線級のアーティストも手掛ける池田さんの“ゲンザイチ”とその歩みを紐解いていこう。

カレッジで無心で掻き込んだ数々の“学び”を活かし 一流アーティスト等の舞台監督として活躍

生時代、昼食時によく通っていたカレー屋さん。「まだありますね♪」 と感慨深かった。

●プロフィール

池田 司さん Tsukasa Ikeda

生年月日・年齢 1987/10/15 37歳

総合学園ヒューマンアカデミー大阪校
マスコミ芸術カレッジ音響エンジニア専攻

入学前に社会人を経験していたからこそ

がむしゃらになれた学生時代

「中学からギターは弾いていて、高校入ってバンド組んで、っていうありがちと言 えばありがちなんですが、バンドが面白くなったので高校やめて飲食で働きながら バンドをやる、という生活を数年していたんですね。ただこのまま飲食をやってい てもと思いまして、まだギターもやっていたし音楽関係で生きてきたいと漠然と考えるようになりました。それが21歳の時なのですが、そのためにその系統の勉強がしたいと色々探してヒューマンアカデミーがいいなと。音楽などのエンターテイメント関連の勉強をしながら高校卒業資格も取れるのがまず魅力でしたね」

ヒューマンアカデミーに入学したのが21歳で、すでに社会人も数年経験していたという意味では、少し変わったプロフィールをお持ちの池田さん。入学してからも通常の高校 →専門学校という周囲の学生とは当初から少し違ったモチベーションを持たれていたのだという。

社会人経験のある池田さんだけに授業の合間の息抜きスペースもちゃんと 確保。気分一新させて授業に臨んだとか

「周りの同級生よりもスタートが遅いぶん、とにかくなんでもやってみよう、学ん でみようという意識はありました。特に先生との距離が近いヒューマンならではではあるのですが、在学中から外の研修や現場によく声を掛けられるんですね。だ から声掛けられたら基本断らないでなんでも選ばず飛び込んでいってました。あま りにそっちを重視し過ぎて通常の授業に支障が出て叱られたこともあったぐらいで す(笑)。でも外の現場では学校の授業だけでは得られない、現場ならではのコ ミュニケーションの取り方などが学べたのは今でも役立っていると感じますね」

お世話になった先生の会社に就職するも、
技術屋を飛び越え巡り巡って舞台監督に

卒業後は、課外研修などでもお世話になっていた岸本先生の経営する音響やステー ジ関連全般を扱う会社に就職。当初はアカデミーで培った音響の技術を活用した 案件を担当していたが、程なくして業務内容が舞台監督にシフトしていったとい う。

「ライブハウスを中心にやっていたのですが、ステージ演出はもちろん、ステージ の図面を見てレイアウトも調整したり、進行管理などステージのあらゆる事柄を 統括するのが舞台監督です。当初は学校で専攻していた音響担当で入ったのです が、岸本先生のチームはライブハウスあがりで“みんなでなんでもやる”というスタ ンスだったので、例えばバーカウンターなども自分が飲食やってたので、自分達で 運営してみたり。そんな流れでライブハウス運営に関わることをなんでもこなして いくうちに、自然と得意なものが見えてくるものじゃないですか。

それが自分に とってはステージ周りのあれやこれやだったので、自然と舞台監督という立場に なっていきました」

とはいえ、舞台監督といえばいわばステージそのものを統括する立場で、広い視 野を持ち進行管理などのマネジメント能力が必要だ。学校では音響を中心に分野別 で技術を中心に学び、いわば“技術屋”としてキャリアをスタートさせた池田さんは いかにして舞台監督という職種に自分をマッチさせていったのでしょうか。

カレッジ時代に掻き込んだ知識が下地となり
大きなステージをもマネジメントする存在に

ひさびさにヒューマンアカデミー大阪校に訪れ、当時お世話になった先生 と再会(左・上)。野外フェス『OURSONGS』でも共闘した岩崎さん(File No.006 掲載)とも談笑。

「ヒューマンはその時に学びたいこと学ばせてくれる校風ですし、自分もスタート が遅いというのは当時自覚していたので、とにかくやりたいモノを好きなだけやら せてもらってたんです。音響専攻だったのですが、カリキュラムも音響からPAから レコーディング、果ては楽器関連の授業など、関連するものは一通り勉強できたの で、がむしゃらに選ばず飛び込んでました。加えて外の現場も出まくっていたおか げで(笑)、コミュニケーションという部分も鍛えられていたので、それらが全て 今の舞台監督をやっていくうえで下地になっていると思いますね」

全体を見る舞台監督という立場では分野別の技術が扱えることは必須ではない。 が、やはり技術周りを熟知していればより適切な指示が出せるというのは当然だ し、舞台というのはチームなのでなによりもコミュニケーションが大事。それも 現場ならではのやり方があるものだが、池田さんはそういった現場でのノウハウも 学生時代に外の研修などで学べていたわけだ。もちろん持って生まれた資質もあっ ただろうし、人知れず苦労をしたこともあるに違いない。しかし話を聞くに実に自 然とフィットできたように映るのは、カレッジで幅広く、奥深く貪欲に学べたこと が大きな理由の一つであるのは間違いない。

昨年のOURSONGS in名護でも舞台監督として参加し

改めてヒューマンアカデミーという存在の大きさを実感

花岡さん(写真右(上)、ゲンザイチNo.003掲載)とは在学時代は講師と生徒 の関係だったが、今ではOURSONGSを支える仕事仲間。

「フェスなどの現場が多いのですが、ありがたいことに近年は子供の頃から見て憧 れていた一線級のアーティストのステージを担当する機会も多いです。そういう時 はやっぱり“やってて良かったな”と感慨深くなりますね」そんな池田さんだが、昨年、沖縄県名護市にて同じヒューマン卒業生達で開催されたOURSONGS(GENZAICHI Vol.005参照)にも初参加。メインステージの舞台 監督を務めたという。

「今回は集客規模も招聘アーティストも大物になったおかげで、ステージそのものの規模が以前よりも大きくなるということで依頼を頂きました(笑)。とはいえ当初はそこまで巨大なステージ想定ではなかったのですが、出演予定の一線級 アーティストさんの中には結構大規模なステージセットになる想定の方もいて。最 初の段階での打ち合わせで図面と睨めっこしながら、どうかな?と意見を求められ“これだと入らないね”ということになって(笑)。フルバンドを入れなきゃいけ ないし、その分機材も多いからそれらを捌く動線も確保できない、となって急遽ス テージを拡張することになって。結局国内の大型フェスと同じぐらいのサイジングになってしまいました(笑)」

頭がいっぱいいっぱいになっ た時は学内のシャドーエリアで寝るこ とも。息抜きは大事。

と、期せずして舞台監督の仕事の一端を垣間見せてくれるエピソードも披露してい ただいたわけだが、今回のOURSONGSで同じヒューマン卒業生や在校生との協働 を経験した中で改めてヒューマンアカデミーの存在が大きなものであったのを実感 したといいます。

「今回、ヒューマンの卒業生の仲間達に加え今回は在校生とも一緒にやってみて感 じたのが、共通のやりやすさのグルーヴがあるんですよ。実はこの業界って結構縦 社会なんで、だからこそ現場ならではのコミュニケーションが大事なんですけど、彼らは同じ釜の飯を食ったじゃないですけどツーカーというか、本当に同じ感覚を 持ってるから困った時にもすぐに相談できるし、仕事がスムーズに進んでいくんで すよ。

それにこれだけ大きなフェスだったら普通は分業制なので、例えばテントひ とつ建てるのだって業者入れるのが当たり前なんですけど、それを在校生の子達が やってたりとか(笑)。これも自分らがやってるの?みたいな。チーム感覚なんで すよね。そういう“グルーヴ”がやっぱりいいなあと、改めて感じましたね」

先輩から後輩へのアドバイス

「今回、ヒューマンの卒業生の仲間達に加え今回は在校生とも一緒にやってみて感じたのが、共通のやりやすさのグルーヴがあるんですよ。実はこの業界って結構縦 社会なんで、だからこそ現場ならではのコミュニケーションが大事なんですけど、彼らは同じ釜の飯を食ったじゃないですけどツーカーというか、本当に同じ感覚を 持ってるから困った時にもすぐに相談できるし、仕事がスムーズに進んでいくんで すよ。それにこれだけ大きなフェスだったら普通は分業制なので、例えばテントひ とつ建てるのだって業者入れるのが当たり前なんですけど、それを在校生の子達がやってたりとか(笑)。これも自分らがやってるの?みたいな。チーム感覚なんですよね。そういう“グルーヴ”がやっぱりいいなあと、改めて感じましたね」

PHOTO:上新庄写真センター / TEXT:藤川経雄 / EDITORIAL:賀川 真弥

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